巷にいう「デトックス」は、医師など専門家の間では、医学的・法的に定義されていないあいまいな用語として、やや胡散臭い用語のように扱われています。でも、過去の歴史を紐解いてみると、当の医術や薬の専門家たち自身が(もちろん市民も)長らくデトックスそっくりの思想を抱き続けてきたことがわかります。私たちの毒掃丸をはじめ、今に伝わる伝統的な便秘薬の成分には、そんなデトックスそっくりの医学思想の痕跡が、はっきりと残っています。
前回は、「デトックスを理解する」と題して、現在のデトックスを考察しながら、便秘薬メーカーとして2つの提案をいたしました。今回は、「医薬の歴史にみるデトックスの系譜と、毒掃丸」と題して、特に江戸時代の日本に焦点を当てて、以前はまるでデトックスそのものの医学が実践されていたことをご紹介し、合わせてその思想の痕跡が私たちの毒掃丸の処方に残されていることをお話したいと思います。
目次
古代には、病気は悪魔の仕業であると考えられ、魔術師や祈祷師が病気を治す役割を負っていましたが、吐剤や下剤(以下 瀉下薬(しゃげやく))が発見されるにつれ、体内から病魔を追い出すためにそれらを利用するようになります。メソポタミア、エジプトから始まり、ギリシャ、古代ローマに至るまで、多くの文明で悪いものを出すために便秘というより、病気自体の治療のために瀉下薬を用いていたという記録があります注1。
中国にも医薬の古い歴史がありますが、やはり下剤で体内の悪いものを出すという発想があります。古人は、邪気・悪気が人の五体の外から入って病気(傷寒)を引き起こすので、それを追い出すことが要諦と考え、「汗吐下(かんとげ)」の三法で邪を攻撃できると考えました。「下」は瀉下薬などで便とともに邪を出すことです(ここでいう瀉下薬の主役は複方毒掃丸にも配合されている大黄(ダイオウ)という生薬で、この後何度も登場します)注2。
悪いものを便と共に出してしまう発想は、洋の東西を問わず世界中で生まれ、長いこと違和感なく医薬の現場や生活者に受け入れられてきたようです。
目を日本に転じてみましょう。
日本の伝統医学は、中国の伝統医学を起源として独自の発展を遂げてきました。例えば江戸時代の日本では、中国の医薬思想を自分たちなりに咀嚼し、実践的に解釈する医家があらわれるようになります。なかでも吉益東洞(よしますとうどう、1702ー1773)は江戸時代の代表的な医家で、現代にいたる日本の漢方医療に大きな影響を与えた人物です。吉益は、「万病一毒説」といって、すべての病気は体内に生じた毒が原因であり、それを下剤などで出してしまえば病を治療できると説きました。吉益は、その著書『薬徴』でも大黄の活用を推奨しています注3。
奈良時代から江戸時代まで、薬の多くは、生薬(しょうやく)といって、薬用植物をすりつぶしたものでしたが、前述したように日本の医学は中国由来でしたので、日本の風土で育たない主要な薬用植物も多く、そうした生薬の供給は、中国からの輸入に頼っていました。江戸幕府が鎖国政策をとっていたことは有名ですが、鎖国期間中も、長崎には大量の中国産の生薬が陸揚げされていたことは、あまり知られていないのではないでしょうか。その生薬の輸入を江戸時代を通じてみた時に、輸入量の1位と3位が、「解毒」に使われる生薬でした注4。
輸入量1位だった生薬は、山帰来(サンキライ)という生薬です。これは、当時蔓延していた梅毒を治療するために使われていました。梅毒は、梅毒トレポネーマという細菌の感染により引き起こされる性感染症で、20世紀に化学治療薬が見つかるまで、まともな治療法がなかったので、感染すると数か月で全身に皮膚症状が現れ、10数年かけて酷い症状に苦しみながら死に至ります。もともと南アメリカからヨーロッパに持ち込まれ、インドや東南アジアを経由して、16世紀はじめに日本に入り、遊郭をつうじて急速に広まりました。江戸では、市民の梅毒の罹患率が50%を超えていたという推計もあります注5。そうした中、山帰来は排膿解毒作用がある生薬なので、治療効果が期待されたのでしょう、我が国での梅毒蔓延に合わせて需要が急増します。1754年には400トン以上が輸入され(おそらく現在の輸入量の100倍近く)、これはその年の中国からの全輸入生薬の47%を占める量だったそうです。また、この量は90万人の梅毒患者が1か月山帰来を連用できる量だとも見積もられています。山帰来の輸入は、江戸時代を通じて常時高い水準で推移します注4。しかしながら、山帰来は症状を緩和することはできても、病気の進行を止めることはできなかったはずです。
輸入量の3位だった生薬は、吉益東洞も活用した瀉下薬、大黄です。大黄の輸入量は、多い年には110トン程になりましたが注6、山帰来ほどコンスタントではなく、10年単位の波があり、これは痢疾(コレラやチフス)の流行りと相関しているのではないかといわれています注7。大黄にはタンニン類が含まれていて、古来痢疾にも効果が期待されていますが、細菌性の下痢に対して瀉下薬を使うことは今日ではありえませんし、当時であってもやや使いにくかったことと思います。しかし当時は、体内の悪いものを出す発想で大黄が用いられていたようです注8。実際に、十分な治療効果があったのかどうかは、不明です。
はっきりとした根拠があるわけではないのですが、当時大量に輸入されていた大黄は、瀉下薬としてではなく、多くが痢疾や毒出しに使われていたのではないか、と私たちは考えています。そう考える理由は、(1)薬の値段は一般的に今よりずっと高く、庶民が舶来の大黄を便秘対策のために日常利用していたか疑問であること、(2)香川解毒剤注9など梅毒の解毒を目的とした当時の処方にも大黄が用いられていること、(3)江戸時代から販売されていた現存する家庭薬「七ふく」「百毒下し」に大黄が含まれ、それらが当時は毒出しの治療薬であったこと、の3つです。
今の医療の観点からみても、体に入ってしまった悪いものを出すという発想自体が、原理原則とし間違っているとは言えません。脈々と受け継がれてきた、毒を体から出せば病気が治るという考えそのものは、恐らく有史以来多くの人命を救ってきたことでしょう。しかしながら、江戸時代に大量に輸入され消費されていた「解毒」に役立つ2つの生薬のエピソードが示すように、打ち克てない毒にまで、身近な薬草のチカラで解毒しようとしても、せいぜい対処療法どまりで、根本的な解毒はできなかったと思います。
現代社会での「デトックス」も、健康維持の「心構え」としては悪いものではなく、恐らく、実際に人々の健康の助けになっていることでしょう。ただ、方法論を間違って効果のないものに頼ってしまうと、失うものがあるかもしれません(生薬を中国から買い付けた江戸時代の日本からは、大量の銀が大陸に流出しました)。なお、現代社会におけるデトックスについては、前回の「デトックスを理解する」に簡単な考察と、便秘薬メーカーとしての2つの提案がありますので、ぜひご覧ください。
最後に、複方毒掃丸のルーツについても触れさせていただきたいと思います。毒掃丸は明治20年代に当社から発売された薬ですが、今回の記事でとりあげた江戸時代以降のデトックスの流れとは切ってもきれない関係があります(詳しくはHP「複方毒掃丸の歴史」/本ブログ「毒掃丸と「毒退治」のトラ」をご覧ください)。
たとえば、毒掃丸は、6種類の生薬からなる穏やかな効き目の便秘薬なのですが、江戸時代に大量に輸入されていた山帰来と大黄が今でも含まれています。毒掃丸は当初、梅毒他、毒が原因になる諸病の薬として、香川解毒剤等の伝統処方をもとに開発されたようです。その後、処方の改良を経て、便秘と便秘に伴う諸症状に効く薬となり、今に至ります。
山帰来と大黄についてですが、この2つの生薬は、正しく使うことで優れた効果をあらわします。元来、大黄は大腸の働きを良くして便を出す際立った効果があり、山帰来は排膿解毒作用があるので、これらを組み合わせることで、ただ便秘を改善するだけではなく、便秘に伴う吹出物・肌あれを抑える効果が期待できるのです。まず、山帰来に本来期待するべきだったことは、このような活用方法だと思います。大黄については、漢方の世界では今も様々な使われ方をしている、主要な生薬の1つです。しかし、毒掃丸の処方において大黄に期待することは、やはり、効能通り便秘を改善することにより、「快食快便」の毎日を取り戻す手助けをしてもらうことでしょう。
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以上、デトックスについて、医薬の歴史にその系譜をたどってみました。人類はデトックスの願いを抱き続けてきたことがわかります。健康への人々の願いは、いつの時代も共通なのですね。
前編目次(クリックで記事に飛びます)
1.世の中のほとんどの毒に対して、巷でいうデトックスは無力です
2.腸内環境を整えることや、便秘をしないようにすることで、一部の毒から身を守ることができます
② 悪玉菌を減らして、体内に吸収される有害物質を減らしましょう
④ 有酸素運動は、便秘を改善し、発汗機能や解毒機能にも好影響
(最終更新日:2022年4月26日)
写真説明: タイトル文字の後ろにある道具は、当社に残る昔の「薬研(やげん)」です。この道具は、生薬原料をすりつぶして粉末状にするために用いました。
注1:この段落の参考文献 石坂哲夫:くすりの歴史 日本評論社 1979 年 p.9~51 注2:「汗吐下」の三法は張子和(1156?-1228)により『儒門事親』で提唱された。この段落の参考文献 山脇悌二郎:近世日本の医薬文化 ミイラ・アヘン・コーヒー 平凡社 1995年 p.229 注3:長沢元夫:薬徴における吉益東洞の論理 薬史學雑誌 Vo1.10, No.1., 2. 1975年 注4:山脇悌二郎 前掲書 p.8~12 注5:鈴木隆雄:骨からみた日本人 古病理学が語る歴史 講談社学術文庫版 2010年 p.234 注6:山脇悌二郎 前掲書 p.233 注7 山脇悌二郎 前掲書 p.229 注8 富士川游:日本疾病史 平凡社 1969年 注9 香川解毒剤(ががわげどくざい)は、香川修庵由来の処方で、梅毒一般、諸皮膚疾患や淋病などに良いとされる。山帰・木通・茯苓・川芎・忍冬・甘草・大黄からなる。矢藪道明:臨床応用漢方處方解説 創元社 1981年 p.645
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